その歸り、同じ學年の友達と一緒に電車に乘つた。發車間際に友達の後輩が乘り込んできて、その友達と話を始めたので私は少し離れてゐた。
二人の方が私より早く降車驛につき、友達は私に手を降つて「じゃあね」と挨拶をしたので、私も手を降つて「じゃあね」と返した。友達の後輩はそれを見て私が知合ひである事に氣づいたやうだつたので、私はその後輩さんにも「じゃあね」と手を降つてみたが、どうも困惑してゐる樣子だつたので、輕く會釋をしてみたところ、向かうも會釋を返してくれた。
私は二人に『輕い感じの挨拶』をするといふ意味で同じ挨拶をしたかつたのだが、その後輩さんにとつては『「會釋」よりも「手を降る」の方が近い人にする挨拶』といふ認識なのだらう。いきなり現れた「友達の友達」で誰だかよく分からない人には手を降る挨拶は返し難いところがあつたのかもしれない。つまりその人から私にする挨拶としては會釋の方が『輕い』ものだつたのだらう。(ただ、もう少しよく考へてみると男子高校生が手を降つて「ぢやあね」といふのもあまり一般的な挨拶ではないやうな氣もする。意見希望w)
米國では街で人と肩があたつたやうな時「Excuse me」といふのが一般的だと思ふが、「Hi!」といふ挨拶を交はすこともあるやうだ。おそらく前者より後者の方が輕い感じの謝り方なのだらうが、日本なら「すみません」と聲をかけるところで「Hi!」といはれるとなかなか返し難い所があると思ふ。
相手にとつて返し易いと思つてした挨拶でも價値觀の違ひで返し難い挨拶になつてしまつてゐることがある。挨拶は自然にするもので、「この挨拶を相手がどうとらへるのか」などと考へてするものではないだらう。自分の價値觀だけではなく、そのシーンに應じた挨拶をすぐにするのは意外に難しいのかもしれない。
ちょっと正字正仮名で遊んでみるテスト。ダイソーの「酒のしずく」という化粧水を塗ったら微妙に酔っ払った気がする。